生を想って死を考えるのか、死を想って生を考えるのか。
今日、仕事場で、義理の娘さんが出産された話を聞きました。
県外のうえ、このコロナ渦、病院にも入れてもらえず、大変だったそうです。
でも、おかげさまで母子ともに健康、
安心して帰ってこられたそうでした。
ところが数日後、
夢に現れたのは、とうの昔に亡くなった、
自分のご両親だったそうです。
不思議というよりは、懐かしさを感じたそうです。
そして、その人が選んだ漢字は「死」
ご本人も元気、周りも「死」を意識させる人はいないという状況。
もしかしたら、この夢は相反する事象を映したのかもしれませんね。
わたしたちの気持ちや意識は
ときには真逆な言葉を選びます。
生きることに失望している人は、
希望に溢れる人生を願っていた人かもしれません。
また、生き急いでいる人は、
その先にある「死」を常に意識しているのかもしれません。
言葉も夢も、合わせ鏡のようなもの。
死を想ってこれからの人生を生きるのか、
生を想って、命尽きるまで生きるのか、
わたし自身も、これからの人生に問い続けていきたい。